吾輩は作曲する猫である。

名前はまだない。

エッセイ

有難い出会い

幸せも不幸せも、すべては他人様からいただく。そしてそれを幸せと感じるか不幸せと感じるかは、自分が決める。自分が成熟すれば、出会いは財産になる。思えば成熟するのが遅かった私は、成人あたりから出会いに恵まれている、と自覚するようになった。 学友…

ホンモノの条件

これまでの音楽人生の中で、たくさんの「ホンモノ」に出会った。もちろん音楽的な実力は言わずもがなであるが、それ以外にも共通点があった。それは「自分の持っている知識や技術を惜しみなく提供してくれる」ということだ。 音楽の習得には、途方もない財力…

スランプ脱出法

作曲にもスランプがある。 そしてスランプが訪れるたびに、 「ああ、私の発想は枯れてしまったのか…」 などと思う。 ひどい時は、もう、ひとつの音符さえも置けなくなったのではないか、とさえ思ったことも多々ある。 過去の作品を眺めてみても、 (これ、本…

音楽という労働

音楽は本来、生存に必要のないものだ。 2011年、東日本大震災の時、つくづく思った。音楽ができるということが、一体何になるのか。生きるうえで役に立たないじゃないか。被災された人々を救えないじゃないか。それのみを追求してきた自分は、やはり本質的に…

常に行為する者であれ

中学2年生の頃に読んだ本の一節に、 「常に行為する者であれ」 という言葉があり、胸を打った。 それから、この言葉は、人生の座右の銘のひとつになった。 始めたことはやめるな。継続は力なり。批評する立場、評論家にはなるな。人生の傍観者になるな。… い…

ひらめきに関する考察

作曲という行為には、多かれ少なかれ、インスピレーションが伴う。 インスピレーションなしには作曲できない。 アルノルト・シェーンベルク は著書『作曲の基礎技法』の中で、次のように述べている。 学生にとってもっともむずかしいことは、インスピレーシ…

作曲に音楽理論は必要か

「音楽(作曲)に理論は必要か」という議論は、古今東西尽きることがない。 まず私の見解を申しあげると、「あった方がよい」ということになる。 「感覚と理論のどちらが大事か」という趣旨と混同されがちだが、音楽理論とは2500年に及ぶ大作曲家たちの感覚を…