吾輩は作曲する猫である。

名前はまだない。

ひらめきに関する考察

f:id:iamcompcat:20220601181917p:image

作曲という行為には、多かれ少なかれ、インスピレーションが伴う。

インスピレーションなしには作曲できない。

 

アルノルト・シェーンベルク は著書『作曲の基礎技法』の中で、次のように述べている。

学生にとってもっともむずかしいことは、インスピレーションもなしにどのようにして作曲するか、その方法を見つけることである、ということがよくわかった。その答えは「不可能」ということだ。
アルノルト・シェーンベルク『作曲の基礎技法』

 

 

作曲に限らず、創作というものは「ひらめく」「思いつく」の連続行為だとも言える。

そしてAという「ひらめき」を、BやCという他の要素と結びつけていき、具体化していく。

 

全体にも、細部にも、このようなことは当てはまる。

新しい構成を持った作品を生み出したり、きらびやかで魅力的なメロディを思いついたり、感動的なハーモニーが頭の中で鳴り響いたり。

そしてそれらは必ず、他の要素と結びつくのだ。

つまりインスピレーションとは、全体においても、部分においても、音楽を創作する上での「始まり」であり、「過程」ともなり得るし、「終わり」ともなり得る、まさに作曲の全行程において必須のものと言えるであろう。

 

それにもかかわらず、学生たちは、作曲しなければならないのだから、助言が必要になる。役に立つただ一つの方法は、問題の解決法はただ一つではなく、非常にたくさんあるということを、わからせることであるように思う。
アルノルト・シェーンベルク『作曲の基礎技法』

 

作曲はインスピレーションのみでするわけではない。

もしインスピレーションだけを使って作曲するのであれば、音楽理論音楽大学などは、その存在意義を失うことだろう。

 

書籍や講習から学んだことだが、脳科学的に「ひらめく」と「思い出す」は、脳のまったく同じメカニズムの、同じプロセスを持った働きだということが立証されているそうだ。

したがって、より多くのものを知っている者が、より多くのものを発想できるということになる。

かの天才ヴォルフガング・アマデウスモーツァルトも、父親のほどこした十分すぎるほどの教育と「同時代の誰よりも勉強した」という本人の言葉通りの勤勉があってこそ、神々しいまでの才能を見事に昇華させ得たのであろう。

インスピレーションは、まさに勉強の賜物であり、その種類や選択肢は無数にあるのだ。

 

作曲の技法とは、それ自体が目的ではなく、大事なのはインスピレーションである。だから作曲をする際はイメージを大事にし、それを表現するために技法を使う。決して技法のみが前面に出るような作曲を行ってはならない。
アルノルト・シェーンベルク『作曲の基礎技法』

 

自分の拙い経験から思うに、インスピレーションとは「始まりのようなもの」「部分的な何か」であるという気がする。

そしてそれを、自らが持つ技法によって、実際の音楽として作り上げてゆく。

そしてインスピレーションと技法は、まったく別のものではなく、インスピレーションの中にも技法は含まれるし、技法を駆使する際にも、インスピレーションは絶えず誘発されているのだと考える。

 

「ひらめきは作業の代わりにはなれません。しかし作業もひらめきの代わりにはなれない。作業が無理矢理ひらめきを生ませることもできない。同様に情熱も無理矢理ひらめきを生まれさせることはできない。ひらめきと作業の両方が揃ったとき、特に両方が融合したとき、ひらめきが誘発される。ひらめきは、ひらめきが生まれたいときに生まれる。私たちがひらめきたいときには生まれないのです」
マックス・ウェーバー『職業のための学問』

 

インスピレーションは、音楽的な形をしているとは限らない。

もちろん実際のメロディやリズム、ハーモニーの場合もあるが、それ以外の形で現れることもあるのではないだろうか。

 

ではどのような時に、インスピレーションは姿を現し、我々の実際の創作を助けてくれるのか。

その辺のところを、先程も引用した、マックス・ウェーバーの著書『職業のための学問』は適切に言いあらわしている。

 

実際、最高のひらめきは、イェーリングが生き生きと描いているように、ソファに座って煙草をふかしているときとか、またヘルムホルツが自然科学者らしく厳密に述べているように、長い坂道を登っているときとかに現れます。言い換えれば、机に向かって頭をかきむしっているときや答を探し求めているときにではなく、いつだってまったく思いがけないときに現れてくるものなのです。だからといって、机に向かってもだえ苦しまない人や、問題を発見する情熱を持ったことのない人には、やはりひらめきは現れません。
マックス・ウェーバー『職業のための学問』

 

インスピレーションはすべからく、情熱や苦悩の末や後の、リラックス状態から生み出されるのではないだろうか。

リラックスしている時、人は脳の広い範囲を活性化させているそうだ。

確かに悩みに悩んで、諦めて帰る道すがら、歩いている時や、電車の中などで、インスピレーションが訪れることが多々ある。

 

そして、私の拙い経験を言わせていただくと、ピアノや五線譜の前で悶え苦しんだ経験+音楽を聴く、という行為の後に、インスピレーションが訪れる場合が多いのだ。

 

これはいわゆる『パクリ』とは違う。

模倣やアイデアの提供でもない。

もちろんそうとも言えるかもしれないが、もっと根源的な何かをもらうのだと思っている。

音楽を聴くことで、自分の過去の経験として蓄積され、それが「思い出す」こととほとんど同義語である「ひらめき」という行為、つまりインスピレーションを誘発するのではないだろうか。