吾輩は作曲する猫である。

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ホンモノの条件

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これまでの音楽人生の中で、たくさんの「ホンモノ」に出会った。もちろん音楽的な実力は言わずもがなであるが、それ以外にも共通点があった。それは「自分の持っている知識や技術を惜しみなく提供してくれる」ということだ。

音楽の習得には、途方もない財力と修練の努力、そして才能が必要である。

出会った方々の中には、自らが苦労して得た知識や技術をもってふんぞり返ったり、出し惜しみする方々もいた。しかし、そのためにいろいろなものを犠牲にしてきたのだから、というその気持ちもわかる。「ニセモノ」と呼ぶには少々気が引けるので、「ホンモノではない人」たちと呼ぶことにする。

しかし、ホンモノたちは違うのだ。彼らは持っているすべてを提供してくれる。

それはなぜか?

いろいろな理由があろうと思うが、私が目指すホンモノの基準にのっとると、次のような理由が考えられる。

 

いつも感謝の気持ちを持っている

人はひとりでは人格や能力を開発できない。

出会い、もらい、教えられ、影響を受けて、得られるのだ。そしてそれは、人智を超えたものによるのである。もちろん才能や努力は必要だが、それ以上に、幸運によってもたらされるものではないだろうか。そして、それらに感謝するということは、極めて人間的なことではないだろうか。

私の出会ったホンモノたちは、本当によく感謝する。なんなら教えを受けている私にまで感謝するのだ。感謝するからこそ、謙虚になり、人が集まってくる。人が集まってくるから、自ずと教えを受けることができ、影響を受けることができるのである。だから、さらにホンモノになってゆく。

もうひとつ、これはよく聞く言葉だが非常に共感する考え方がある。それは、「恩はおれに返さなくていいから、次はおまえが、ほかの困っている人を助けてやれ」という考え方だ。

代をつないで、感謝をつなぐ、この考え方に、私は非常に共感するのである。

 

捨てるから入れられることを知っている

何でもかんでも得ようとすれば、その欲によって人は破滅する。

得ようと思えば、何かを差し出したり、犠牲にしたり、捨てなければならない。物に限らず、知識や技術であろうとも、この原則は変わらない気がする。

最近聞いた書道家の話である。

ある書道家は若かりし頃、血の滲むような努力の末、自分の独特な書法を編み出した。その後、書道家は一切の学びを絶ち、自身の書法のみにこだわり、ついに世に捨てられてしまったのだ。

特定の知識や技術に固執すると、人は柔軟さを欠き、成長は止まる。

世界は変化してゆくのだ。そして、その変化に対応してゆくためには、自分も変化してゆくしかない。そして変化とは、捨てることである。入れるために捨てるのだ。

 

音楽のみならずである。